境内のご案内

本堂正面全景
石畳の参道を進むと本堂があります。本堂は江戸時代末期に火災で焼失したため、1854年に第15代住職指月和尚によって再建されたものです。広さは畳約100畳あります。本堂前には一対の銀モクセイがあります。

ページトップへ
本堂玄関側
本堂はもともと庫裏としても使用されていたため、大きな造りになっています。しかし現在は、庫裏は別棟となり全部屋を本堂としてしようしています。平成16年には、傷んだ基礎部分の修復をしました。平成20年には壁の修復・本堂内部の磨き工事・畳替え・建具替え等の改修をしました。

ページトップへ
本堂正面
庇が大きくせり出し、太い柱と梁が際立っています。屋根には寺紋の「剣梅鉢」がついています。

ページトップへ
常楽地蔵
道路脇の参道入口には、常楽地蔵が安置されています。現住職が兼務住職を務めている「清水山 常楽寺」に祀ってあったものを、平成24年に臨川寺へお移ししました。

ページトップへ
常楽地蔵の説明
「地蔵菩薩本願経」には、お地蔵様を信仰すると十種のご利益があると説かれています。お地蔵様に一心にお祈りすることによって、きっと願い事が叶い、常に心が安らかで、楽しい安楽の境地で過ごすことが出来ると思います。

ページトップへ
南無阿弥陀仏石塔
常楽地蔵の横に祀ってあります。平成24年に常楽地蔵と同様に「清水山 常楽寺」よりお移ししました。常楽寺を開山された「徳雲浄祥禅師」がお祀りしたものと伝わっています。

ページトップへ
稲荷大明神
村の鎮守のための稲荷大明神です。常楽地蔵・南無阿弥陀仏石塔と共に参道入口にお祀りしてあります。以前は境内地より離れた場所でお祀りしていましたが、平成24年にお移ししました。毎年3月の午の日には「初午」の行事を執り行います。

ページトップへ
門柱
一風変わった形の門柱です。両脇の石柱は、ご近所の方から寄贈されたものです。以前は、どこかの学校の門柱として使用されていたものだそうです。寺名の文字は、本堂玄関にかけてある表札の文字を使用しました。美濃加茂市にある「太寧寺」のご住職に書いていただいたものです。

ページトップへ
参道入口
常楽地蔵前からの参道入口です。参道の両脇には陶器の瓶(かめ)が並んでいます。元々はソースの運搬用でしたが、不要になったため再利用しました。瓶の口の部分に幟が立てられるようにしてあります。

ページトップへ
参道入口からの本堂
参道両脇には椿の木が植えてあります。以前は駐車場からこの辺りまで竹薮でした。平成20年に竹の伐採工事をした際、竹薮に自生の椿の木がたくさんあったため移植しました。

ページトップへ
三弘法二番 石柱
瓶(カメ)の参道を進むと石畳が見えてきます。その入口に2本の石柱があります。「三弘法」とは、どこのことか不明ですが、以前はお詣りされていたようです。

ページトップへ
上記左側 三弘法二番のアップ
卍御即位記念 
稲武山廿一大師 
三弘法二番臨川寺 
側面・・・美濃六十二大師六十二番霊場 
後ろ・・・大正四年云々

ページトップへ
不許葷酒入山門
「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」臭いもの・酒は修行の妨げになるので寺への持込を禁止するという意味です。

ページトップへ
石畳から見た本堂正面
古くからある石畳の参道です。かなりガタガタになっていたため敷き直しをしました。昔からの丸い石を使用しているため歩きにくいと不評ですが、趣を残したく、あえて使用しました。雨の時は滑りやすいので、ご注意ください。手前の石柱は結界門として使用していたようです。

ページトップへ
弘法堂
石畳の結界門を抜けると弘法堂があります。弘法様がお祀りしてあります。大正時代の初めに民家でお祀りしていた弘法様をお寺へお移しした時に建てられました。しかし老朽化がひどく平成16年に新築しました。毎月21日は弘法様のご命日です。近所の方がお詣りにいらっしゃいます

ページトップへ
中濃八十八ヶ所 第十七番札所
岐阜県中濃地区には「中濃八十八ヶ所霊場」という弘法様巡りがあります。関市・美濃市・美濃加茂市に札所があります。「巡拝案内奉納経」を持って巡拝される方がご参拝にいらっしゃいます。

ページトップへ
指月禅師碑
現在の本堂の再建に尽力された「第十五代住職指月和尚」の功績を讃え、第十七代住職拙堂和尚が建てたものです。刻まれた文字はすでに風化しています。

ページトップへ
本堂裏 竹薮・しだれ桜
以前、この辺りはすべて竹薮でした。平成20年の工事で竹薮の一部のみを残し整地しました。手前はしだれ桜です。春に楽しんでいただけるようにと新たに4本植樹しました。

ページトップへ
駐車場
通常は約20台駐車できます。行事等の時は本堂裏も開放して約50台駐車できます。バスの駐車も可能です。

ページトップへ